平成18年3月20日号
第559号
 
 
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実践的な細工ずしを1冊に 滋賀県・青山氏の本

仕事に役立つ実践的な細工ずしを1冊に収録。一つ一つ作り方の手順も図入りで丁寧に解説。勉強熱心な若い従業員さんにお薦めです。

組合価格 1,500円(税込)
通常定価2,100円を、組合へ申し込むと1,500円でOK
理事会より
 すし券運営、技術コンクールや講習会開催など
組合は3月9日、鮓会館で定例理事会を開き、今後のすし券の運営、近畿ブロックすし技術コンクール、技術講習会の開催など話し合った。

開会に当たり半田理事長は、時候の挨拶のあと「3月1日、すし券を議題に正副理事長会を開き、今後の取り組みを協議した。また、6日に大阪食品国保組合の理事会が開かれ、少子高齢化と若い組合員の減少などで運営はきびしいが、積立金を取り崩すなどし、18年度も組合費を値上げしないことになった」と報告した。
技術講習会を開催
 コンクールにそなえ日柄鮨から講師
 




青年研究会(福井良一会長)が3月16日、鮓会館で「すし技術講習会」を開催し、約20名が参加した。

この講習会は今秋大阪で開かれる近畿ブロックすし技術コンクールへの出場選手を養成するのが狙いで、同コンクール上位入賞者は、来春東京で開催の全国コンクールへの出場権が得られる。

今回のテーマは、バラン切りと関西ずし。講師は、過去の全国コンクールで総理大臣賞を獲得するなど、優秀な成績をあげてきた高松真二さん、崎村範雄さん、鉄川春美さん(いずれも阿倍野支部・日柄鮨)。

講師の模範演技には大きな拍手がわき、松岡技術委員長は「普段の練習から自分のペースをつかんでおく、同一組での道具の貸し借りは禁止なので各自持参する」など注意した。

実習では、講師や青年研の先輩からきめ細かな指導を受けながら作業を進めた。講師の高松さんは「とにかく練習しかありません。私の場合、店の後片付けが明け方に終わってから、毎日2〜3時間練習しました。店に理解があったのが幸いでした」と回顧する。

青年研究会では5月のにぎりずしを含め、秋までに3回位の講習会の開催を予定し、多数の参加を期待している。
「すし料理」技術技能検定
 調理師からステップアップ
 
調理師に与えられる最高の公的資格を取得しませんか。

調理師技術技能センターが行う平成18年度国家試験「調理技術審査・技能検定試験」の「すし料理」は、実技が7月18日(火)から8月18日(金)の間に、学科が7月24日(月)に、西日本では大阪だけで実施される。

実技・学科の両試験に合格すると、厚生労働大臣から「専門調理師」「調理技能師」の証書が交付され、調理師学校の教員資格も取得できる。学科の出題範囲は、調理一般・調理法・材料。食品衛生・公衆衛生・食品・栄養・関係法規及び安全衛生。


【受験案内及び受験申請書用紙等の請求】
4月3日(月)以降に住所・氏名・郵便番号を明記した返信用封筒(規格角2号)に1部につき140円分の切手を貼付して下記へ請求を。

請求先
 〒107-0052
 東京都港区赤坂7-10-9 第4文成ビル
 調理師技術技能センター

尚、申請書の受付は4月10日(月)から5月8日(月)まで。
食品の安全・安心へ
 すし屋を愛するお客から3広がる品質表示義務
大阪食品衛生協会が2月17日、大阪氏中央区の薬業年金会館で第15回食品衛生研修会を開催した。

この日の講演テーマは「JAS法に基づく品質表示基準について」(講師=独立行政法人農林水産消費技術センター神戸センター所長・川村和彦氏)と「食品営業賠償共済制度について」(同=日本食品衛生協会共済部長・塚脇一政氏)。

研修会に参加した組合の小西衛生委員長は「最近、食の安全・安心に消費者の関心が高まっている。『安全』は注意すれば店で売ることができるが、『安心』は店が信頼されてお客が感じること。組合員皆さんの一層のご努力を」と話している。 以下は講演要旨。

日本の食品表示制度はJAS法により原材料名、原産地など「選択」の目安を、食品衛生法によりアレルギー、添加物など「安全の確保」の指針を示す。また両法に共通し名称、製造者、賞味期限などが表示される。従来の冷凍野菜や漬物、塩干アジ・サバ、うなぎ加工品に加え、塩蔵魚介類や海藻類、表面をあぶった魚介類などについても平成18年10月から表示が義務付けられる。
 
がんばってます
 「大阪松すし会」の皆さん
大阪の「松すし」には戦前からの脈々とした1つの流れがある。

源流は明治末期、大阪市西成区天下茶屋に開店した「松すし」で、創業者は井上松市氏(故人)。島根県の貧しい農家の四男四女の長男として生まれ、15歳で上阪、氷屋に住み込みで働き始めた。毎日天秤棒を担いで売り歩いたが、得意先に大変繁盛するすし屋があり「すし屋になろう」と決心し、その店で修業。やがて店主の承諾を得て、出身地からとった「石見亭」の屋号で独立。店が忙しくなるにつれ郷里の子供達や森口且一氏ら親族を次々と呼び寄せ、後に三男井上芳太氏、四男幸一氏も加わる。当時、松市氏が考案した桶ずしは爆発的な人気だったという。

同店からののれん分け第1号は「田辺松すし」(森口且一氏)。最初は四天王寺近くに開業したが、田辺に移転後大繁盛。且一氏他界後、三男繁巳氏が引き継いだが若くして他界、従業員の吉原誠至氏に店をゆずり現在に至る。

のれん分け第2号は「住吉松すし」(井上芳太氏)。兄松市氏の誘いで「松すし粉浜支店」としてスタート、結婚を機に自分の店として営業を始めたが召集。昭和24年に帰還するまで富枝夫人が苦労して店を守った。帰還後、店を改築し営業は順調に推移、組合役員も引き受け元気いっぱいだったが他界、その後を次男昇氏が継承した。

第3号は「文の里松すし」(井上幸一氏)。8人兄弟の末っ子だった幸一氏は兄に誘われ19歳で上阪し「松すし」に就職。結婚を機に店探しを始め、文の里で開店後もっぱら帳場の仕事に専念した。戦争で疎開後オカラのすしを始めたところ大変な人気で、毎日オカラを集めるのに苦労した。氏は長年組合役員としても活躍したが、一線を引いて20余年になる。店は従業員だった内木一年氏が継いでいる。

その後、天下茶屋「松すし」から孫店、ひ孫店へのれん分けの輪は広がり総数25店にもなるが、現在は17店が伝統を伝える。

「松すし」出身者の親睦と交流をと、「大阪松すし会」が発足したのは昭和34〜35年ごろ。初代会長は井上芳太氏、二代目は井上幸一氏、平成9年からは「藤井寺松すし」の藤田観諦氏が三代目会長を務めている。今年も1月24日に阿倍野の中華料理店・楓林閣で開いた新年会には、13店から約60名が参加し大いに盛り上がった。藤田会長は「会のメンバーたちは、仲間意識と、いい意味のライバル意識があり今日まで頑張ってきた。何かことあれば連絡し合い助け合っています」と話す。
 
激辛一言
 すし屋を愛するお客から5
夢や希望を持って就職したはずでも、すぐに辞めてしまう人がいる。

ただ遊んでいては生活できない、とりあえず働かなあかん。やる気もなければ覚える気もない。それでも長い目で見て育てなければならない。反対に、持っている力を出せず、生かせず潰される者もいるであろう。雇う側と働く側との相性が合えば、お互い大きな力となるが、なかなか思うようには巡り合わない。

こんな所に開店してどないすんねんと思うような、人通りもない、とびっきりのおすすめがあるわけでもない店でも、一度は近所の者は行く。評判が良かったら自分もと思うが、隣であそこはもう一つやでと、酒の肴にされたらそれで終わり。行くことはない。

小さな店でもいい。そこの土地で長いことやったはる、続いてんのんが大きな強みやで。大儲けはでけへんと思うけど、自分自身が生かせるこんな店で働くのも面白いと思う。時代にあってはいないと言うが、こんな店で飲めるのが最高のぜいたく。最高のごちそう。